・今津福祉村 |
・モンゴルとの交流 |
野の花学園の敷地内にあった「蒙古塚」を“地域の方々や子供たちへの歴史教育の一環として、また、広く地域交流・国際交流など友好親善の架け橋になることを願い、世界平和に寄与すること”を目的として平成17年3月に福岡県から買い取りました。その「蒙古塚」を「蒙古塚公園」として整備し、開園したことがモンゴルとの交流の始まりです。現在では蒙古塚公園記念祭を毎年開催し、モンゴル大使他多くの方をお招きしての交流や、モンゴル国訪問団の結成、アジア 太平洋大学(APU)や九州大学を中心としたモンゴルからの留学生との交流などさまざまな活動を展開しています。今津福祉村では、これまで友好親善訪問団 を結成し、現地の教育機関や政府との交流の場を持つなど積極的に取り組んでいます。
○元寇の歴史
今から700年以上前、1274年(文永の役)と1281年(弘安の役)に2度にわたって当時の隣国であった「元」が侵攻してきた。これを、蒙古軍の襲 来(元寇)と呼び、この今津の地も戦場となった。当時の鎌倉幕府は刀や弓、槍といった武器で応戦したが、蒙古軍は火薬を使った大砲など、武力の差は大きく 劣勢が続いていた。しかし、日本軍が土や岩で壁を作り(元寇防塁)必死に抵抗したこと、天候が味方したことなどにより、蒙古軍の侵攻は失敗に終わった。し かし、この2度にわたる戦いによって、敵・味方ともに多くの死者を出すこととなった。時は流れ、大正2年の夏、福岡日日新聞社(現西日本新聞社)の主催に より、元寇研究の目的で今津地区一体の発掘および元寇防塁の史跡を調査したところ、双方の兵士の霊を供養するための「蒙古塚(東蒙古塚:萬人塚、西蒙古 塚:壱千人塚)」の存在が明らかとなった。さらに時は流れ、昭和15年、木下讃太郎氏によってその蒙古塚に記念碑が建立されたが、史跡指定もない中、管理 もされないまま放置された状況であった。
蒙古塚にある石碑 | 平成18年に寄贈された石碑 「温故知新」と書いてある |
平成21年に寄贈された石碑 モンゴル語で “モンゴル兵士の聖なる碑” |